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今回は、旧山鹿郡観音札所の一番札所であります、紫雲寺をご紹介いたします。

※説明の参考にさせていただいている資料は、平成12年のものです。
 その際には、紫雲寺は現在の場所ではなく以前温泉プラザの道向かいにあった
 山鹿ホテルの敷地内にあったとのことですので、表記・表現に誤りの部分が
 あるかもしれませんので、お気づきの方がおられましたら教えてくださいね。
 宜しくお願いします。  

では、『 紫雲寺 』のご紹介に進みましょ~~~う。

<三十三札所めぐりの第一歩はここからスタート!!/b>

冒頭に、『紫雲寺は現在の場所ではなく・・・』と書きましたが、現在は山鹿市の九日町という地区にある金剛乗寺の敷地内に移設されています。
私も、書籍を見て場所を探しておりましたが、分かりませんでしたし、旧山鹿ホテル近隣の方にもお聞きしましたがわかりませんでした。
困ったな~と思った矢先に、観光協会に聞けばいいんだと気付いてやっとたどり着きました。

一番札所ですからね、ここがわからないとスタートきれませんもんね(笑)

さて、その金剛乗寺です。
場所は、こちらです。


山鹿市の足湯から八千代座に上がって進んでいくと、左手にこの石門が出てきますね。
この石門をくぐり進むと先に、『金剛乗寺』があります。

この楼門をくぐると、すぐ右手に観音堂があります。

そちらが、移設された観音堂です。

本尊は、聖観世音金銅仏で、左足を垂らした座像で、高さは約60センチでガラスケースの中に案視されています。光背が見事です。

山鹿城主 山鹿太郎重光建立の古寺跡

”移設される前の情報です”
『鹿郡旧語伝記』には、平安時代後期、山鹿城主山鹿太郎重光の時は、獅音寺(天台宗)と言い、山鹿氏の菩薩所として建立され、康正年間(1455~57)に、菊池家家老の隈部忠直が寺名を改めたと伝えられる。
旧観音堂の傍らには、山鹿市の家士(家臣)有働氏の祖先を供養するために花翁という僧が建てた供養碑があったとのことです。
※此方の供養碑は、確認できていませんので、今後調べてみます※

 江戸時代は、観音三十三カ所の一番札所として崇拝され、明治以降は山鹿の名家「江上家」の屋敷神になっていたとのことです。温泉にも近く、古来から山鹿の中心であったと思われます。

■ご詠歌
法のには 流れたえせぬ梅が井の 水のすがたを 残す古寺

 


※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(山鹿双書四・旧山鹿郡三十三か所札所巡り・児玉徳夫講演録より先生講演録)

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