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★ 小 字 探 訪 ★ 小原の竜宮を探検してみよう~~
山鹿市の昔の小字(こあざ)の地図を見ながら、探訪する企画第1弾!
先日、山鹿市史 別巻に別添で付けられていた明治10年代に作成された村図を基礎とした「山鹿市小字地図」
それを見ながら、今はなかなか呼ばなくなった地域の小字を見ながら探訪してみようと思い、今日は先日から考えている志々岐にある「涅槃岩」の下に行けないかな~との希望との関連もあり、山鹿市小原地区の「竜宮」と呼ばれている地区を探訪してみました。
何故、竜宮という地区に興味を持ったかと云いますと、この竜宮という地区から、昭和41年に開田工事中に舟形の石棺が発見されたそうです。
当時山鹿高校考古学部が調査をされ、棺身と棺蓋からなる凝灰岩製の船形石棺だそうです。
その石棺については、現在オブサン古墳のある肥後古代の森に移設されています。
石棺はこのような形です。
両棺端には、棺蓋・棺身共に短い縄かけ突起があるそうです。
このような船形石棺の発見場所は、菊池川流域で30カ所を数えこの地方を中心とした特異な古墳文化圏があったのだろうと説明されています。
構築年代は古墳時代中期だろうといわれており、年代でいうところの5世紀頃ですね。
その頃には、近くの岩原双子塚古墳や日輪山の竜王山古墳などの少しあと、和水町の江田船山古墳の少し前か同じ頃かなと思いますが、まだこのころには菊池平野部に、古代湖・茂賀の浦の在った時期になるのですかね。
船の形をした石棺という事も関係があるのでしょうね。
この竜宮の地名を見ながら、神社誌を見ていると、現在この小原地区にある若宮神社の項にこのような記載がありました。
◎小原若宮神社
創立年は不詳。往古は、字竜宮に鎮座あったが、中古より当地に遷座と伝える
と、書かれています。
若宮神社の現在の祭神は、「応神天皇」で境内社として、「菅原神社」あります。
しかし、飛地境内神社として「綿津見神社」が記載されているんですね。
そちらの祭神は「大龍神」となっており、現在も石祠だけは、あるようです。
その石祠を今度探しに行かないといけませんね。
山鹿市別巻の中には、「肥後国神社明細帳」に収録されていたものとして、こちらの綿津見神社の祭神は、「綿津見神」となっています。
現在の若宮神社の楼門など水にまつわるような装飾が施されています。
神門には、中央の上段に天女思うような装飾があるのですが、流れの速い瀬に坐し、罪穢れを海に流す祓いの女神「瀬織津姫命」を形どってあるのでしょうかね~。
神門の装飾が非常に豊かに施されていますので、今度個別にこちらの神社はご紹介しますね。
文献を見ながら、実際に足を運ぶとさらにいろいろと気づきますね。
これがフィールドワークの醍醐味ですね。
さてさて、この地に来たのは又別の目的もあるのです。
実は、以前より、この近くにある涅槃岩というところがありまして、もうすこし涼しくなったら行こうと思っているのです。
何故時間を置くかと云うと、蛇や獣が怖いからです汗
それで、涅槃岩だけであれば以前一度行きましたので、行き方は分かっているのですが、実はこの涅槃岩の石仏とは別に、この下の谷底の小瀧の岩の上に高さ1m程の不動明王が祀られているらしいのです。
お話をある方に伺いましたら、昔河川工事があり今の河川の形になっていますが、その昔は川沿いを歩いて移動することが出来たそうなのです。
でも、今は川幅も大きくなり、その頃の道はなくなっています。
しかし、探検隊としては、やはり一度は行ってみたい!そう気持ちがうずきますよね。
それで、この竜宮の地よりどのルートでか向かう事は出来ないかなと見に来てみたのです。
もう一度地図で見てみると・・・・
この森を抜けるルートが早いかなと思っているところ。
上の写真の森ですね。
ちなみにこちらを下に下ると、ポンプ整備のための道が川まであります。
ただ、教育センターの裏手からももしかしたらルートがあるかも・・・・。
色々と考えてみると面白いですよね。
小字探訪。
これからも続きます・・・・・
余談ですが、左記に話をしてる涅槃岩ですが、こちらを見出されたのは、天文年間(1532-1555)に金剛乗寺の住職であられた宥明法印様が、この志々岐台地の北傾斜の一帯を釈尊涅槃像を見出したといわれています。
像は、首から肩まで80m、肩から踵まで400m、高さは菊池川の水面より約80m。月夜時には、すぐ下の竜宮淵に影が映り像の全身が鮮やかに見えたと言います。
一帯を涅槃瀬と呼び、川沿いに繁る龍宮森を像の蓮台に見立て尊崇したそうです。
現在も、涅槃岩の場所には周りに涅槃十三仏が点在しています。
※菊池川 治水・風土ブックより(発行:国土交通省九州地方整備局・菊池川河川事務所)
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