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こんにちは。
今日は、先日よりお話ししています「旧山鹿郡三十三観音霊場」の十四番札所をご紹介します。

禅宗の古寺跡で、静かなたたずまいの札所

場所は、こちらです。

国道3号線を山鹿市杉の日輪寺手前の交差点を福岡方面に進み、200メートルほど進んだ所の左側に饅頭屋があり、その道向かいの細い道の山道を進んでいると、杉林の中にお堂があります。

お堂は、一間×一間の三方吹き抜け。本尊は、十一面観音立像です。

古寺の年代は不詳・・

『鹿郡旧語伝記』には、「智徳寺。古寺の跡なり。」とある。
『鹿本郡誌抄』には、「禅の跡字辺田前、草堂九尺二寸観音を安置す、池の上也」とある。
古寺の由来は不明である。

※昭和51年に発行された「三岳小学校教育百周年記念誌」内のP252、「(二)三十三ヶ所札所観音」の志徳寺の記載があるが、そこには、「 種徳寺 」と記載がある。
どちらの名前が正しいのかは、定かではないが現在札所の事を掲載してある書籍や市発行のガイドパンフレットには、「志徳寺」とありますので、そちらでしょうね。

 また、この「三岳小学校教育百周年記念誌」には、(●惜しい塔石)いう項目があり、

『 昭和6年の記録(郷土誌資料)によれば、堂前に塔石があり、正徳三己年(1713)前島久左衛門の娘の建立 の銘があった由であるが現在(昭和50年)は見当たらぬ』
ちなみに、1702年が元禄十五年にあたることを思えば、元禄から十一年後のものであるだけに、惜しい文化財をなくしたものである。

という記載がありました。
この塔石もきちんと探せば出てくるかもしれませんね。
お堂の横には池(現在は溜まっていない)があり、もしかしたらこの下に埋もれているのかもしれませんね。

 

 

さて、この札所の紹介のために写真を撮ったりして、自宅のPCで確認をしているとあるものに気づきました。
先に紹介している観音立像の写真の右側に落書きがあるではないですか。

誰でしょうね~。もうずいぶん前の落書きみたいだから、書いた方はご存命じゃないかも。

お観音さんから『こら~悪坊主~!』と、怒られよんなるかもしれんですね。

 

※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(山鹿市老連町おこし運動推進協議会の発行した「ふるさと山鹿」)
(山鹿双書四・旧山鹿郡三十三か所札所巡り・児玉徳夫講演録より先生講演録)
(三岳小学校教育百周年記念誌)

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