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こんにちは。

最近、地元の方々で作る、まちづくり協議会のようなものに、何かの流れで参加をすることになりました。
地域の史跡などをルートに組み込んだ歴史を楽しむフットパスをされるそうです。

まあ、何かの縁で繋がったこのお話ですので、できるしこで楽しもうと思っています。

さて、その会議に先日参加させていただいたのですが、紹介したいとされる史跡や神社、そのルートに関しては、ほとんど決まっておりましたので、用意された資料を非常に楽しく読ませていただいたのですが、その中にあるものが載っていました。

それが、今回のタイトルである『 彦嶽宮 下宮の一の鳥居 』です。

彦嶽宮 下宮の一の鳥居の話

現在、山鹿市の三岳地区の彦岳の麓には、景行天皇に由来のある『彦岳下宮』があります。

彦岳には、上宮・中宮・下宮と三宮があります。

下宮から下ると民家脇に、大きな鳥居があります。

こちらは道路沿いにありますので、通られたことがある方は見られているのではないかと思います。
昔は、ここから下宮までの参道があったのでしょう。

 

先の、協議会の会議でいただいた資料では、この民家横にある鳥居が『二の鳥居』と書かれていました。
そして、この鳥居から更に下った岩野川沿いの道下に『一の鳥居跡』と書かれた部分があったのです。

 

もう、この記載名を見てしまったら、一度行ってみないと気がすみません。

そこで、仕事が遅番だった日の通勤前に行ってみました。

 

一の鳥居の跡なのか?興味がモリモリわいてくる。

実際に行ってみると、確かに道路横の土手のようになっている草が生い茂る場所に、

「鳥居の痕か?」と言われる石塔がありました。

近くによってみると、手前の背の高い石塔には、何やら文字が彫られています。

ちょっと、いまいち読めません・・・・・。

そして、奥のほうにはこれまた大きな石の何かがありました。

これも、側面には何か彫られているような痕跡はあります。

 

 

どうなんでしょう。

会議に出席されていたメンバーの方の話では、
石塔に掘られてる文字からして、鳥居ではなく道標としたものかな~とも思われる
とおっしゃってました。
はっきりとしませんが、何かが確かにここにはあったのですね。

ただ、これが『一の鳥居』でここらか参道が続いていたのかと考えると、また妄想が膨らみますね〜。

実際はどうだったのか。
確かな資料もありませんでしょうし、たとえ鳥居じゃなかったとしても、確かに鳥居の跡だったにせよ、新たな発見というのは非常に楽しいものですね。

僕は、一の鳥居であってほしいな~と、一人妄想するわけです。

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