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こんにちは。

今日は、「旧山鹿郡三十三観音霊場」の八番札所 ” 東向寺 ” をご紹介します。

 

国衆一揆の時、前衛の陣地・銅板葺きの立派なお堂

場所は、こちらです。


県道195号・和仁山鹿線、城の下古閑バス停より、少し先から右に入ります。
上記一番右側の写真の小道を上り、民家の裏手を左へ進むと、18段の石段があり、そこを上ると広い境内があります。

一間半×二間と比較的大きく、竹林を背にした重々しい雰囲気があります。

本尊は、観音善薩摩座像で、左手に蓮華、冠帯があります。
お堂入口の寺銘額には、「東光山」とあります。
お堂の近くには、墓地があり、天和三年(1683年頃)に建てられた板碑地蔵があります。
これは、東向寺と関係があると思われるそうです。

 

城村城近くの主戦場

『鹿郡旧語伝記』には、「隈部の菩薩所の跡。本尊観世音。下古閑にあり。日輪禅寺の末寺なりと云う」とある。
隈部氏は、城村城主で国衆一揆の戦いで、佐々成政に破れた肥後国衆の一人。
城村城は、菊池隆経が元寇の頃に築いたとされている。

お堂周りの写真など


※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(山鹿市老連町おこし運動推進協議会の発行した「ふるさと山鹿」)
(山鹿双書四・旧山鹿郡三十三か所札所巡り・児玉徳夫講演録より先生講演録)
(三岳小学校教育百周年記念誌)

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