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山鹿市の鹿北町。
最近は、こちらの町内にある史跡などをフィールドワークで廻っています。
山鹿市と合併される前に、町内の文化財保護委員の方々などで編纂された資料が非常によく、参考にしながら廻れるからです。

しかし、この資料も発行より20年以上が経っているため、見つけるのに苦労する場所も多々あります。

その様な中で、先日やっとたどり着いた場所がありましたのでご紹介します。

山潮でながされた法泉寺

場所は山鹿市鹿北町椎持地区にある松尾と云う集落から上がった山の中腹にあったとされるお寺です。

法泉寺の情報が載る文献はまだ見つけれていないので、何時頃の年代に開かれた山寺なのかは定かではないのですが、流されたきっかけとなった山潮で流された地蔵尊がこの集落の下方にあり、その地蔵尊には「文明十四年(1482)」と彫られており、今から540年以前にこの地にあった山寺です。

その年代の掘られた地蔵尊がこちら。


山鹿市の指定文化財としても登録されています。
法泉寺の山潮で流され、今の下村に留まっていたのを村人がおこし建てたと云われています。
高さは、150センチ、35センチ角、表面の上方に地蔵像。
その下に「奉建立地蔵菩薩像、文明十四年壬寅三月十五日領主沙門 明蒸。」
側面及び裏面の上部には、梵字、下部には多数の僧名が刻まれているそうです。

この地蔵像は、下村集落の川を渡った先に建っています。

この、地蔵尊があったことで、法泉寺跡を探したいとの思いが募ったのです。

法泉寺は、どこだ・・・・。

松尾集落より上の山間との情報で、何度かタイミングを見て訪れてみました。
寺跡には石の祠があるとのことで、山道をたどり、ゆっくりと進みながら探してはいましたがなかなか見つけることはできませんでした。

三度目の訪問で若干あきらめかけた時に、一人の男性が通りがかられたので資料を見せ尋ねると、その方が祠に屋根を付けた大工さんであることがわかりました。
何と素敵な出会い!

おじさんは、多分一人では道がわからず行けないあろうと、ご自身の軽トラックに載せていただき案内してくださいました。
行路では、でこぼこの山道を進み、あまりの悪路にびっくり!
こりゃ自分ではこれ無いなと実感しました。
現在は、猟師さんが猪に仕掛けた罠を確認するためにしか通られていないとのことでした。

そして、法泉寺跡と云われる場所に到着。

その場所は、杉山の中で周りには巨石がごろごろとした場所でした。

途中、巨石の下に祀られたお地蔵様を一体見かけました。

そして、法泉寺跡に祀られた石の祠です。


祠には、「宝仙院 岳山寺」と刻してあります。
祠は、昭和二十二年建立。平成元年に屋根を作られています。

山潮で押し流されて了って、その土砂に埋まった地域を法専寺と云うようになった、現在の下村の向こうから南にかけての地域だそうです。

周辺にはきれいに積まれた石垣がありました。
お連れ頂いた方の話ですと、昔はこの地でもミカンの栽培や何かの作物の栽培もあっていたそうで、そのために作られた石垣だろうとのことです。
叉、この山をさらに登ると岩肌の露出した山があり、鎖をかけ登れるようにしてあったそうです。
自分が子供の頃は山登りに来ていたね~と話されていました。

法泉寺跡について、鹿北町史では・・。

山鹿市との合併前に編纂された鹿北町史を拝見すると「第三部 遺産編」の11に、「法泉寺について」の記述がありました。

● 法泉寺跡
大字椎持字松尾通称岳の山の麓にある。
『国郡一統誌』にも、「肥後国誌」にも寺名が挙げられていないところを見ると、それ以前に亡くなっていた寺であろう。
同寺は、米原長者の檀那寺であったといわれている。
(中略)
・・・椎持神社の前付近に塔の元と云うところがあり、四角や笠形の切石が散乱しているというから、多分五輪塔等の一部であろう。
そこから少し登ると、寺道の跡が峯の左斜面に残っている。

寺跡と称する所は明確でないが、「せんせん口」というところ一帯は、今は杉山や栗山にあっている付近にあったのであろう。
泉水の下方の元水田は現在みかん、茶、クリなどの畠となっている。
近説によると、法泉寺付近に『 珎敷刻文 』があったという。
『朝日輝く夕日の許赤金の千枚朱千枚黄金千枚無量一寸鍬の下に在り 』と巨岩に刻されているといわれ、どこかに多額の黄金が埋められているだろうと探しに来るものがあるので、 分からぬよう文字を内にした石垣石にしてしまつしたと伝えられている。
現在寺跡より百メートルぐらい下方、森山家の茶畑とみかん畑との間の石垣にの中に、表面の長さ2メートルぐらいの高さ、巾ともに1メートルぐらいの巨大な長方形の岩がある。
或いは、問題の石ではあるまいか

と町史に記載されています。

お宝が埋まっていたらロマンがありますね。

叉、このような話もあります。

●『 法泉寺の金の観音様 』
昔、椎持字松尾の森山某が、或る夜お湯に行って何気に向うを見ると、何か光るものがある。
おかしいと思って、翌晩もよく見ると同じところに光るものがあります。
不思議に思って、そこを良く見定めておいて、翌日掘ってみますと『三寸位の金の仏像』があったという事です。
これは、法泉寺の金仏であろうと云われています。

その金仏は、今も山鹿市に移られた森山印刷所に祀ってあるとのことです。

※此方も、鹿北町史より引用※

此方の森山印刷所様を探してみましたが、もう随分前に廃業されているそうで、どちらかに移して祀られているのかもしれません。

こちらの観音様を調べるのには時間がかかりそうです。

場所は、山鹿市花見坂の圓頓寺の右前に印刷所があったようです。

こちらもいつか、拝見してみたいものです。

また、何か資料など見つけましたら、また追記して紹介しますね、


では、では~~。

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    • ナナハン爺さん
    • 2021年 3月 07日

    山潮で流された山岳の古寺” 法泉寺 ”を読みました。

    私もそこと思われる場所に行ってみましたが、どうしても見つけることができませんでした。

    ユーチューブにその時の動画をアップしましたが、この近くなのか見当外れだったのか

    アドバイスをお願いいたします。

    https://www.youtube.com/watch?v=nacxbxpyUUs

    https://www.youtube.com/watch?v=ePqFEBHisL

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