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最近やっぱりツイッターってすごいな~と云う出会いがありました。
それが今回の記事タイトルとなっています” 鹿本出身の「新撰組隊士・尾形俊太郎」“についてです。

さて、この「尾形俊太郎」さんについてご存じない方もおられるかと思いますので(実は私も先日まで存じませんでした)、まずはどのような方かをご紹介します。

新撰組隊士・尾形俊太郎さんについて

(以下、wikipediaより引用)

尾形 俊太郎

(おがたしゅんたろう、天保10年[1839年]-大正2年[1913年])※お顔がわかる写真は無いようです※
新選組隊士。諸士取調兼監察及び文学師範
姓は緒方、小形とも。本姓は三嶋であり、尾形姓は新撰組入隊に際して先祖に当たる武将の姓から名乗ったとされる。

天保10年肥後国熊本藩生まれ。新撰組の中では永倉新八と同年齢。新選組入隊は文久3年(1863年)5月25日以降とされる。同年6月の編成では、副長助勤を務めている。八月十八日の政変に参加したと考えられるが、元治元年(1864年)6月の池田屋事件には留守居役を命じられ不参加。同年12月に長州征討を考えた行軍録では、五番組組頭に就任している。

局長近藤勇の信頼が厚かったようで、初期より重用され、元治元年に江戸への隊士募集行きや、慶応元年(1865年)と慶応2年(1866年)の二度に渡る長州出張に例外なく随行している。慶応元年4月の編成では、諸士取調役兼監察方及び文学師範に就任し、文官として高く評価されていたようである。慶応3年(1867年)6月の幕臣取立では、副長助勤として見廻組格となっている。

慶応4年(1868年)1月に勃発した鳥羽・伏見の戦いでは目付を務め、大阪に敗走後、江戸に帰還。その後も在隊し、甲州勝沼の戦いを通して会津にへ向かい、同年8月21日の母成峠の戦いで敗走。22日に斎藤一こと山口次郎ら38名と共に会津若松城下外堀外の斉藤屋に宿泊した記録を最後に消息を絶った。なお、会津まで新選組に同行した副長助勤は、尾形と斎藤のみであった。

上記が、新撰組隊士・尾形さんのプロフィールなのですが、「会津若松城下外堀外の斉藤屋に宿泊した記録を最後に消息を絶った」となっており、その後の足取りがつかめなかったそうです。


山鹿市出身の新撰組隊士がおられたことにもびっくりしているのですが、それ以上に実は、この会津戦争の後は熊本の地元鹿本の来民に帰郷されていたのです。

(wikipediaより)
しかし2013年、霊山歴史館に尾形の子孫から俊太郎の手による漢詩書が寄贈され、この書と共に発見された文書の解析によって、尾形の生没年や来歴、その後が明らかとなった。それによると、尾形は会津でしばらく過ごしてから故郷の熊本に戻り私塾を開き、大正2年(1913年)に75歳で死去した。会津で負ったと思われる目の怪我が元で晩年には視力をほとんど失っていたという。新撰組隊士であったことを周囲に話すことはなく、ただ文書の片隅に「元壬生浪士」とだけ記されていたという

京都にあります、幕末・明治維新を専門とした博物館「霊山歴史館」を運営する「霊山顕彰会」が、2013年7月に発行された「維新の道」と云う会報の中に、この尾形さんの子孫による寄稿があり、その中で帰郷後の足取りが書かれていました。
熊本へ帰郷後、明治2年に鹿本町の方と結婚。その後、明治26年に現山鹿市鹿北町の「椎持地区」より養子をとり、明治36年には、自らも椎持へ転居されています。


さて、今回なぜ、尾形さんの存在を知ることになったかと云いますと、この尾形さんは帰郷後は本来の「三嶋」姓に戻しておられ、転居された椎持の地で、私塾を開いておられたそうです。
私塾では「しゅんがん先生」と呼ばれていたとのこと。

その、尾形俊太郎さん(こちらのお名前で書きます)が文を書かれた記念碑が唯一現存する物として、鹿北に残っているのです。
それが、こちらの「溝渠疏鑿記念碑」です。

溝渠疏鑿記念碑(原の用水溝の記念碑)



こちらの文を尾形俊太郎さんが書かれたもののようです。

◎ 原の用水溝の記念碑について

文政十年(1827)、昔用水路のなかった原集落は、高台の為用水に乏しく、畑が大部分で「娘やるなら深田のある家に」と云われていたそうです。
その頃、時の中村手永惣庄屋 西島尉介、多久庄屋 西田長右衛門は原集落の人々の難儀を救うため、用水溝開鑿を計画し、麻生の理半次と金原の安左衛門に測量され、一年余りで完成させた。

此方の記念碑については、鹿北町史にも記載があり、その中に「三島仙巌」と云う名で、記録が残っています。


そして、尾形さんが私塾を開かれていたのは椎持地区の須屋と云う集落だと思われます。

妻が亡くなった晩年は、故郷の来民に戻られているようです。

幕末を生きた新選組の志士の方が、山鹿の地にもおられたこと、そして鹿北と云う地で晩年を過ごされたこと。
感慨深いものがありますね。

今後も、いろいろと調べてみたいと思っています。

ツイッターにて情報提供していただきました「瑠璃子🕊️☘️さん」ありがとうございます!

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