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今回は、山鹿市鹿北町の岳間地区にある「 多久阿蘇神社 」をご紹介します。

場所は、こちらです。

のどかな山間の水田が広がる上の段に立派な鳥居が建っております。

鳥居の周りには、この時期多くの紫陽花が咲き誇り、また色様々で非常に美しく雰囲気があります。
またこちらは、白い紫陽花が多く、鳥居から階段を上がり、楼門までの参道には紫陽花の中を通る事が出来ます。

そして立派な楼門です。

楼門前と楼門内の阿吽の狛犬。楼門内の狛犬は独特な彩色です。

楼門をくぐると、左手に境内神社として「若宮神社」、右手には石祠が二基あります。そして、本殿右手奥には猿田彦大神が祀られています。

そして、本殿です。

拝殿の手前両脇には灯篭があり、灯篭の上には変わった何かが飾られています。

何をモチーフにしてあるのでしょう。
私は好きなモチーフです。

◎ 多久神社について

・祭神は、『 比咩御子神 』です。

(1)由緒は不明ですが、『鹿本郡誌』には、「由緒不明なり、多久領主式部少輔源忠治、寛政四年(1462年)癸未 二月二十九日再興せりと云い伝う」とあり、肥後国志には「阿蘇四宮大明神社、社人一法師将監」とあるのみ。

(2)社記によると
○ 久安元年(1145)阿蘇氏国大宮司より、四之宮を分神当地へ御鎮座奉祀す。
○ 「多久領主、神田一八町歩を寄進し、多久の守護神として奉斉する。
  寛政三年(1462)神殿、拝殿、神門等を改築する」とある。

郡志と社記に改築に関して、三年と四年となって異なるようであるが、三年より
改築に着手し四年二月に完成したのであろうとの事。
○ 寛文一二年(1672)神殿改築。
(中略)
※多久神社には、棟札・その他の記録なく、市法師家の覚書井以外にたよるべきものがない。
(中略)

○ 現在の境内には周囲四メートルにも及ぶ老杉、老檜を中心に参道から見事に立ち並び、その荘厳さは伊勢神宮を連想され、鹿北随一の神域をなしています。

(上記、鹿北町史より引用しています。)

叉、鹿北町文化財保護委員の方々で発行されている「ふるさと探検」によると、上記(周囲四メートルにも及ぶ老杉、老檜を中心に参道から見事に立ち並び・・・)の部分ですが、平成3年の台風十九号で、この老杉や老檜のほとんどが倒木し、現在昔の面影は残念ながら残っていません。
その台風の際には、拝殿と神殿も大木の倒壊で被害を受けたようですが、現在では立派に再建されています。

叉、楼門については、幸いに倒木の被害には遭わずに古い形のまま残っています。
楼門についての記録はありませんが、多分、お宮の建設時に一緒に建立されたものだろうとのことが書かれています。


※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(鹿北町文化財保護委員の発行の「ふるさと探検」)
(鹿北町史)


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