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今日は、鹿北町の『黒猪』という地区で祀られている清正公さんをご紹介します。

田畑の荒れを整備し、豊作を祈願し奉られた清正公さん


場所はこちら↓

まずは、写真にてご紹介。

この階段を上ると、右に一基の石碑があります。

そのまま進むと、


綺麗な社の中に、石の祠があります。

さて、参考にさせて頂いている『ふるさと探検』の書籍をより引用させていただきますが、記事中の内容以降新たに社を改修されているようですので、その点をご理解いただき、書籍より引用させていただきます。
※以下、ふるさと探検より引用、内容は過去のものです。昭和58年に祠の左面から後ろ面にきっちりとした漢字で、刻まれた由緒書きがあるそうですが、何時頃刻まれたかは不明だとのことですが、最後の方に『県吏 上野彰謹誌』とありますので、明治初期の年代であろうと思われるとのこと。

『山鹿県芋生村に黒井谷というところがあり、田畑が荒れて税金なども十分に納められなかった。
 天保十四年(1843年)の春、村長渕上淳平という人が命を受け、官府から糧銭を下賜され、
 そのお金で家屋などを修理し、荒れ地を耕し、水利を良くし、イナゴの害等を防ぎ良い田畑にした。
 古い祠を補修し、黒井谷を鎮め護って頂くよう、鬼将軍「加藤清正公」をお祀りした』

 と、言う事が書かれているようです。

 そのほかに、石段を上がった右手に二基の石塔がありますが、一基には明治十年五月十日、黒井 古閑などの文字がかろうじて読めます。
 もう一基は、その右側にあり、正面に「南無阿弥陀佛」と「明治三年二月十五日」の日付が刻まれています。

このように、書籍の中には記載がありました。

やはり昔は、大変の時期もあったのですね。
その引用の下部、二基の石塔については、詳しく確認しなかったためか私が伺った際には、一基しか気づきませんでした。

また行く機会があれば確認してみますね。

此方の清正公さんは、国道三号線からですと、随分と入り込んだ地区にありますが、平山温泉方面からも通れるトンネル「黒猪トンネル」がありますので、そちらから来られるとトンネルを抜け坂を下ったところ、すぐの左手にこの石段があります。

一度伺われてみてはいかがでしょうか。

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