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今日は、旧山鹿郡三十三観音札所の十八番札所「長源寺観音堂」とその観音堂がある、長源寺をご紹介します。


場所は、こちらです。

旧山鹿郡観音堂の代表格。本尊の他に、三十三の観音像


山鹿の市街地温泉プラザの南側、温泉通りにある浄土真宗長源寺の楼門左手前にあります。
観音堂は、二間×一間半で平成7年に改築。湯町山鹿の観音堂の代表格と云われています。

本尊は、聖観音の金色座像で高さ160センチ。光背が見事です。本尊の両脇には立像、座像、千手、十一面など三十三のいろいろな観音像があるそうです。

安永時代からの由緒ある浄土宗のお寺” 長源寺 ”

『鹿郡旧語伝記』に「清鏡山長源寺。菊池小路にあり。寛永12年の改めに入る・・・・・」と紹介され、山鹿の旧家の菩薩時で観音堂も古い。境内には、芭蕉碑など山鹿の歴史をしのぶ事が出来る。
西南戦争時に薩摩軍兵士の墓石も残っているそうです。
『山鹿市史』の近代史料には、観音堂は『文化九年信海創立』とある。


また、山鹿市老連の方々がまとめられた『ふるさと山鹿』という書籍の中に、このお寺の事が述べられています。

● 清鏡山長源寺 ●

筑後の国・善導寺の末寺で、浄土宗です。
本尊は、阿弥陀如来、本山善導寺の「廓誉(かくよ)上人」が寛永十二年(1637)肥後の末寺を巡視された時、ここに草庵を作り宿されました。
ここはもと、紫雲山長福寺という有名な寺があったところでしたので、何とか再興しようと思われました。

二世迎誉上人は、その志をついで、正保年中(1640年代)常宇を建立して『長源寺』と改められました。
この寺には、正保の初め(1644)からの大森家・江上家等の過去帳が立派に残っています。
叉、裏の広い墓地には、歴代の住職はじめ、各家の墓碑がおびただしく残っています。

※江上 津直(明治4年に山鹿温泉を改築した人)
※江上 勝子(柔遠女学校創設者)の碑もあります。庫裡の前には、芭蕉の句碑も建っていますし、本堂の横には俳人風斜の墓碑もあります。
境内には、明治10年の西南の役で戦死した薩軍の墓も残っています。

長源寺ほかの写真



※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(山鹿市老連町おこし運動推進協議会の発行した「ふるさと山鹿」)
(山鹿双書四・旧山鹿郡三十三か所札所巡り・児玉徳夫講演録より先生講演録)

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