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こんばんは。
ひっさびさの記事の投稿となります。

ツイッターとかはこまめに更新してるんですけどね・・・・どうしてもサイトにまとめるとなると時間が・・・

等と言い訳をしつつ、参りましょう!


芋生金凝神社


場所は、こちらです。

▢ 住所:〒861-0602 熊本県山鹿市鹿北町芋生3463

山鹿市の北部、鹿北町の広見地区、迫と云う集落にある金凝神社は、創立年月日は不明ですが、鎌倉時代に勧請されたといわれています。さて、神社誌より

◎祭 神: 神沼名河耳命[ 綏靖天皇 ] / 神俣毘賣命
◎由 緒:
先に書きましたが、創立不詳。鎌倉時代に勧請と云い伝える。
貞享元年、社殿焼失。同年十二月神殿再建。安永三年三月拝殿再建。
昭和二十一年宗教法人へ切り替え、菅原神社外五社と合併し飛地神社となす。

◎社殿両側には、鬼神像あり。
◎例祭日:11月23日
◎境内神社
・八坂神社[ 祭神:須佐之男命 ] / ・稲荷神社 [ 祭神:食稲魂命 ]
◎飛地境内神社
・菅原神社3社[ 祭神:菅原道真 ] / ・加藤神社 [ 祭神:加藤清正公 ]
・熊野座神社 [ 祭神:伊邪那美命 ]


さあ、神社の様子を写真でお伝えします。

神社の一の鳥居は、道路に面したところに建っています。
道沿いには駐車場はございませんの、ご注意ください。

参道の階段を上るとどっしりとした石鳥居が建てられています。明治30年に再建されたもののようです。

鳥居をくぐると、もともとのごつごつとした岩の参道が現れます。



参道には2基の猿田彦碑と途中にはお社が一棟あります。

ワイルドな参道を進みますと、階段があり登ると鳥居のように日本の立派な杉の木が建っています。

両脇には、よくある神社の楼門のように、随人様と狛犬がおられます。


社殿の両側の切り妻には、力神様の装飾があります。


神社の境内には、下の鳥居の左手より車で上がれるように裏参道が作られています。
その裏参道の途中に、しめ縄をかけ何か祀られている様子があります。
この時には、どなたにもお会いできませんでしたので、こちらについてはよくわかりません。


さて、昨年2019年の1月にNHKの≪ネーミングバラエティー 日本人のお名前っ! ≫と云う番組で、こちらの『金凝』をテーマに放送されていました。
※下記、番組サイトより引用※

「いだてん」のおなまえに注目!
足袋でオリンピックを目指したとされる金栗四三は、熊本県玉名郡和水町の出身だった。
13世帯中、10世帯が金栗というこの地域に訪れた宮崎さんは、現地調査することにした。
地元の人に聞いてついに金栗四三の親族である正光さんを発見した宮崎さんは、幼少期の四三さんの写真を見せてもらった。
しかし、家系図を見ても金栗の名前の由来が分からなかったので、森岡先生に福山県みやま市に何かがあると教えてもらった。
早速向かうと金栗遺跡を発見した。
この遺跡があるみやま市一帯では、弥生時代の遺跡があり、王国に繁栄をもたらせたのが金栗だという。
再び熊本に戻ると、阿蘇山の噴火により手に入った鉄でつくった商品を「金凝」と呼び、職人を「金栗」と呼ぶことが判明した。
番組URL http://bit.ly/366Wdqz

と云った内容で、番組は放送されたようです。
(実は僕は放送を見れていないので、是非拝見してみたいですね)

福岡県みやま市のサイトの金栗遺跡についての記述がありました。

https://www.city.miyama.lg.jp/info/prev.asp?fol_id=12520
◎金栗遺跡 [ かなぐりいせき ]
所 在 地:みやま市瀬高町小川字金栗
県指定史跡:昭和33年4月3日指定

小川(金栗)にある、昭和25年に発見された環濠集落跡で、遺跡年代は古墳時代後期から鎌倉時代前期。
当遺跡からは、刳り貫いた木を枠として使用した井戸1基が完全に近い形で発見された。
この井戸は奈良時代のもので、全国でも珍しい井戸であり、現在、国道209号線の東、田圃の中に保存されている。
金栗遺跡の遺構は、東西40m・南北30mの環濠集落の内側に、井戸6基、炉址3ヶ所、灰のつまった竪穴4ヶ所、小形竪穴16基が出土している。
竪穴住居跡は平安時代のもので、当時の生活の一端を窺い知ることが出来る。
この遺跡で注目すべき点は、弥生時代の一般的な環溝が、平安時代から鎌倉時代まで存在していたということで、それを示すものとして、環溝内より、平安時代末から鎌倉時代初期頃の磁器類・土師器が出土している。

実に興味深いですね。

又、『金栗さん』と云いますと、こちらの金凝神社の少し山鹿よりの地区に『三岳』という場所があります。
その三岳には、文化元年より五年の歳月をかけ造られた『津留井出』という農業用水路があります。
この津留井出を作られたのは、当時、山鹿手永総荘屋であった『 金栗瀬助 』さんと云う方が代表となり造られています。
この方は、あの金栗四三さんの御先祖になられる方だそうです。
地元の、三岳小学校では生徒が学習発表会などでも、この津留井出についての発表をされるそうです。

いろんなところで、つながりが出てきますね。

いろんな点を調べていくと、点と点がつながりあう部分が見えてきて面白いものです。

ではでは~~。

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