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こんばんは。
昨日ご紹介した『昔話もある、小坂の向かい合う磨崖仏』の記事の最後に、この場所に伝わる昔話があることを紹介しました。
今日は、その昔話 ” きつねの道送り ”のお話をご紹介します。

小坂川の下流に近く、野部田に行く橋がある。
この橋のかみの淵を『もりや渕』と云う。この渕の上は、昔の石切り場であった。
この岩場付近を『おせんじょ』と、呼ぶ。
ここには、昔「おせん」と云うきつねが棲んでいたからである。

その頃、桑津留に「米さん」という一寸気の弱い人が住んでいた。
或る年の事、娘トセの嫁入り先の芋生の村祭りに行った。
その夜、遅くなって一杯機嫌の米さんこと、娘のくれた祭りの土産入りの重箱を下げてやってきたのが「おせんじょ」
中程まで来ると、後ろから足音がついてくる。米さんが止まると、足音も止まる。
米さんが歩き出すと、足音も歩いてくる・・・・・・・・。
「ここは、おせんじょ!」と思ったら、背筋に水をぶっかけられた様な気がしてきた。
それからというもの、どこをどう歩いたかもわからない。泥だらけで、家に帰った。

家の人達があけたら、重箱の中はスッカラカンだった。でも、狐に騙されたといえば、人に笑われるから、まだ黙っていた。
幾日が経って、明後日は12月1日で小坂祭りという日の事である。

 嫁さんのおかみさんは、金堀の店まで買い物に出かけた。押しかけた買い物客の為、一寸帰りが遅くなってしまった。
買い物には、きつねの好物の油揚げもあっただろう・・・・もう日もすっかり暮れていた・・・。

 でも、かねがね気の強かったおかみさんのこと、「おれは、狐なんかにゃ騙されんぞ」と、思っておせんじょまで来ると、後ろから何かがついてくる。
目の前を何かが横切った。「きたな!」と思うと、後ろから買い物籠をぐいと引っ張った。
流石のおかみさんも、さっと血の気が引いてしまった。
祭りの買い物をとられてしまって、家の前まで来てダウン。

 そうなると、村中「狐の道送り」でもちきり。遂には、「狐退治」がまとまり、団子に毒を入れて狐を征伐する事にきまった。

ところが、村で一人だけそれに反対した「竹七爺さん」はが居た。
この人は、おせんじょ岩場の石切りさんだった。然し、村中で決まったからには仕方がなかった。

 狐征伐が行われた翌朝早く。竹七爺さんが、狐の穴の前に行くと、やせた母狐と二匹の子狐が、涙を流しながら折重なって死んでいた。
食べ物も少ない岩場、二匹の子狐を育てるため、致し方なく村人をたぶらかしていたのだろうと竹七爺さんは思っただろう。

 そのことがあってから、竹七爺さんは岩場に行っても、石切りの仕事はしなかった。
岩場の切り立つ岩壁に、しきりとのみを動かしていた。
幾日が経って、その石のみの音が絶えると、忽然と竹七爺さんの姿は、小坂の村から消えてしまった。
あとには、岩場の岩壁に、それはそれは見事なお観音さまの像が彫ってありました。

 それから何百年もたちました。
今でも、「おせんじょ」の岩場には、竹七爺さんが彫ったと伝えられる観音像が残っています。
傍に「享保十五年八月」と、彫ってあります。竹七爺さんの名は見えませんが・・・・・・・・・・

これが、きつねの道送りのお話です。
実は、このお話は以前、TBS系列で放送されたTVアニメ「まんが日本昔ばなし」でもアニメになっています。

◎No.0229 「キツネの道送り」
◎放送回:0142-B 放送日:1978年07月08日(昭和53年07月08日)
◎演出:矢沢則夫 / 文芸:沖島勲 / 美術:西村邦子 / 作画:矢沢則夫

◎出  典 / 熊本のむかし話(日本標準刊)より
◎出典詳細 / 熊本のむかし話(各県のむかし話),熊本県小学校教育研究会国語部会,日本標準1973年12月20日,原題「きつねの道送り」

ナレーションは、あの「市原悦子」さんです。
◎[ まんが日本昔ばなし~ データベース ~ ]

探していましたら公式ではないですが、YOUTUBEに動画がありましたので貼っておきます。

市原悦子さんのナレーションはやっぱり最高ですね。

では、では~~。

※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(三岳小学校教育百周年記念誌)

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