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こんにちは。

ツイッターやインスタグラムでは、すこし更新していましたが、サイトの方はまたまた時間が空いていましたね。
なかなか、整理してアップするには時間がかかりますね。

ではでは、今日は山鹿の坂田地区にある『 坂田阿蘇神社 』についてご紹介しますね。


坂田阿蘇神社と龍神池のお話



坂田阿蘇神社の場所はこちらです。

山鹿市から和水町へと向かう、県道16号線沿いからほんの少し入った場所に鳥居と参道の階段があります。
思わず通り過ぎてしまいそうになりますが、入口の手前に『立山電気商会』と云う会社がありますので、その先の左手です。
参道の階段も結構勾配はありますが段数は多くはありませんので、楽々っと登っていきましょう!

◎ 祭 神 – 比咩御子明神 / 国龍神 / 彦御子神
◎ 由 緒
由緒は不詳。明治41年1月無格社淡島神社(祭神 少彦名命)を合併。
昭和21年6月宗教法人、同27年新法人へ切り替え。八坂神社外一社を合併、飛地境内神社となす。

◎ 例祭日- 3月11日 [ 元11月11日 ]


境内の様子を写真でご紹介







社殿の後ろ側には、御神木が石造りの祭壇に祀られてあります。
もともとは、こちらが御神体だったのかもしれませんね。

天保4年の銘があります。

そして、こちらの神社下の鳥居の左手下には、『竜宮の池(神社記載名:龍神池)』があります。

さて、こちらの竜宮の池については、このような伝承があります。


竜宮の池のお話


当神社境内に”龍神池”と称するものがある。
旱魃の為、農作物枯死の恐れある時、農民この所に祭壇を設け、神事を昼夜行えば必ず雨降りくるという。
即ち農民風流を装い、池の周囲を鐘太鼓を打ち鳴らし、盛んな雨乞い行事が行われていたという。

里民、底なしの池と称える。

又、竜宮の池とも呼ばれ、円形の池の直径は約12メートル。上方の神社は白滝神社である。

坂田では、毎年6月10日に神主さんを招き、龍神池で川祭りをすることが習わしになっていたが、慶長3年(1597)6月10日の川祭り当日は、村人たちが鹿北の多久村に木の切り出しに出かけて、10日までに仕事が終わらなかった。
このため、世話役が川祭りを翌日に延ばした。
水神さんは、お客を呼んで祭を待っているのに、勝手に日延べしたのはけしからんと怒り、世話役である庄屋の4歳になる娘の「お春さん」を浪でさらってしまった。

村人たちは、祭を行わなかった水神さんの崇りと恐れ、多久村に早く帰るように連絡し、泣き泣き11日に祭を行い、今後は6月10日には必ず川祭りをやろうと決めた。
ところが、3日目になって、娘は着物もぬらさず、池に浮かび、黄色みがかった丸い団子の形をした石二つを手に持って水面に浮かんだ。

驚いた村人たちが、今までどこに行っておったかと尋ねたところ、竜宮城の乙姫さんのところで、遊んでいたという。
そして、その時出されたのが、二つの団子でその一戸を一口食べたところで、夢から覚めたようになって、池の上に浮いたという事である。

村人がお春さんの握っていた団子形の石を調べてみると、一個には一口食べた歯形が残っていたという事です。


と、このようなお話があります。

坂田の阿蘇神社。
そして龍神池のお話。

池は県道から建物一つ分は行ったところにありますので、一度ご覧になられてみてはいかがでしょうか。

ではでは~~。

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