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杉稲荷神社 [ 山鹿市杉 ]
こんばんは。
今日は、山鹿市の杉地区にあり、赤穂浪士の遺髪塔のある日輪寺の近くに鎮座する「 杉稲荷神社 」をご紹介します。
杉稲荷神社
◎ 祭 神 – 倉稲魂神 / 大田命 / 大宮比咩神
◎ 由 緒
天慶五年正月六日、京都伏見よりの勧請と云う。天正七年山鹿郡城村の城主隈部式部大輔親安の居城に戦いありし時、社殿焼失、一時仮屋に安置。慶安五年緒方惟俊と申す者、社殿を造営再興した。昭和二十一年五月宗教法人、同二十七年堂新法人へ切り替え。
◎ 境内神社 – 八坂神社 [ 祭神・須佐之男命 / 祭日- 七月十一日 ]
国道3号線に面したところに、鳥居がありますがこちらは裏門となります。
鳥居を過ぎた交差点より、左折しすぐにさらに左折し路地に入り、一寸進むと、小さな井出にかかった小さな石橋があり、そちらが正面の一の鳥居があります。
そして、こちらはが国道3号線に面した裏手の入り口です。
さて、一の鳥居の前には小さな井出があり、そこには小さな石橋がかかっています。
こちらの石橋は、「山鹿市史別巻(P789)」にこのように記載があります。
江戸時代の旧街道と併行して神社前を流れる寺島井出に参道として架けられた太鼓橋。
親柱に安政四丁巳(1857)三月二十日と刻んであるが、石工名は分からない。
とあります。
こぶりで可愛いが歴史ある太鼓橋です。
稲荷神社と云うと赤い鳥居を思い浮かべますが、こちらは一般の神社の様な石の鳥居となっています。
扁額に「稲荷大明神」とあります。
鳥居をくぐると、阿吽の狛犬と楼門があります。
楼門には、手前に焼けた力神様が鎮座されています。
力神様の隣には、随人様と狐様も鎮座されています。
楼門を抜けると、拝殿が見えます
さて、神社誌より由緒などをご紹介します。
◎ 祭神 – 倉稲魂神 / 大田神 / 大宮比咩神
◎ 由緒
天慶五年正月六日、京都の伏見よりの勧請と云う。
天正七年、山鹿郡城村の城主 隈部式部大輔親安の居城に戦ありし時、社殿焼失。
一時仮屋に安置、慶安五年 緒方惟俊と申す者社殿を造営再興した。
◎ 境内神社 – 八坂神社 [ 祭神:須佐之男命 / 祭日:七月十一日 ]
とあります。
境内神社の八坂神社。
お社の裏手には、「京塚古墳」があります。
古墳の中腹より木が伸びており不思議な感じがしますね。
15m程の円墳ですが、古墳についての詳細は不明です。(装飾古墳館などで詳細が分かるかもしれませんね)
さて、その、古墳のさらに奥の井出の横には、小さな社が建っています。
社の右手後ろにはこのような看板もあります。
ただ、こちらについては現段階でよくわかりません。
更に聞き取りが必要そうですね。
又、この社の林の手前には、このような石碑も建っていました。
「小堀流 水屯護衛の術 踏水術 発祥地の碑」とあります。
小堀流?
全然知りませんでしたので、ググりましたらこのようなサイトが出ました。
『小堀流踏水術水守』古閑忠夫さん
※肥後細川藩の歴代藩主が推奨し、武芸として伝わる小堀流踏水術・・・・小堀流踏水術というように、特に水を踏んで行う立游(たちおよぎ)が有名・・
だそうです。
YOUTUBEに動画がありました。
参考までに・・・・・。
今日紹介しました、杉稲荷神社。
なかなかいろいろある面白い場所ですね。
稲荷神社と云いますと、赤い鳥居がイメージされますが、こちらはあまり稲荷神社っぽくありません。
楼門をくくった左側や手水社などに赤が使われていますが、普通の神社の様な感じです。
また社殿裏の猿田彦大神の石碑は安永七年、寛政九年、明治39年の物、正面の鳥居は文化六年建立、灯篭も文化・文政・天保年間建立の物など、色々と見ごたえがある神社ですよ。
是非、日輪寺などにお越しの際には、立ち寄られてみてはいかがでしょう。
では、では~~。
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