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今回は、旧山鹿郡三十三観音札所 最後となる第三十三番札所「相良寺」をご紹介します。

相良寺の場所はこちらです。

山鹿郡三十三観音札所最後の札所で、子授け、安産の信仰でも有名

子授け・安産の信仰での参詣者が多いです。境内にある相良トビカズラは天然記念物としても有名です。


相良寺は、天台宗の立派な寺院で、28段の長い石段があります。

境内には鐘つき堂、経倉、仁王像、五輪塔などがあります。


寺院の中には、立派な千手観音像が鎮座されており、その周りにも様々な仏像が祀られています。


■ 相良寺について

<菊鹿町史より>

当初、相良寺は筑肥山地に連なる相良山中腹にありました。
山中を切り開いた茶寺と呼ばれる古堂床跡からは、昭和40年後半に土師系の古代の硯と土師器片が出土しています。
『国郡一統志』には、「伝教大師開基、朱雀院天慶年中再興、主山安薬師像、本堂安千手大悲像』とあり、伝教大師(最澄)勧請開山の以前から、地主として医王善逝(薬師仏)の像がまつられていたことを伝えています。
古堂床(伽藍地)から、心見岳と云われる岩場へ登拝すれば、平安中期(推定)の朽損仏三躯があり、拝観者の目をみはらせます。
朽ちてはいても豊かな立体感と量感は、平安の面影を伝えています。
~中略~
『肥後国誌』には、相良寺「大同年中伝教大師開基、或説俊芿開基トモ云」とあり、肥後飽田郡の出身で、京都泉桶寺の開山俊芿(1166~1227)の名をあげています。
その伝記「泉桶寺不可棄法師伝」(大日本仏教全書)には、俊芿が吾平山(相良寺)荘厳房に師事したことが記されています。
また、寺伝には、弘仁五年(814)開基とあり、最長の九州への天台教義弘通の旅の年と一致しています。

 現在、本堂の内陣には本尊千手観音を中心に、密教系の仏像が客仏として居並んでいますが、本尊の脇侍は、その左右奥に立つ毘沙門天と不動明王です。
この三尊形式は比叡山風のもので、比叡山北塔の横川中堂の尊像構成を取り入れたものです。
信仰の道で結ばれる、菊池・東福寺及び、筑後、清水寺でも同じ三尊形式が見られます。
なお、本尊の胴内銘には、大檀那隈部上総守親氏、大願主富田安芸守直方の名があります。

相良寺鰐口(市指定文化財)


室町時代後期の鰐口、県内最大級。天文17(1548)年銘、東常陸介寄進。

菊池武光陣中矢除守本尊不動明王(市指定文化財)


陣中守は折りたためる箱に貼り付けた薄い不動尊。菊池武光の奉納か。

最終の打ち納めの札所

『鹿郡旧語伝記』に「吾平山相良寺。(略)本尊丈六の千手観音御国一の大仏なり。三十三カ所三十三札所打納の寺なり」とある。
上記の由緒以降、正平21年(1366)に菊池武重、武光などの発願で、現在の様な本堂や千手観音が出来たという。

● ご 詠 歌

たどり来て 諸願成就の鐘の音を おのずとふるる 軒の松風


※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(山鹿双書四・旧山鹿郡三十三か所札所巡り・児玉徳夫講演録より先生講演録)


旧山鹿郡三十三観音札所マップを作りました。
観音堂めぐりの参考に使ってください


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