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今回は、山鹿市鹿北町の岳間地区にある「 椎持菅原神社 」をご紹介します。

椎持菅原神社の場所は、こちらです。

鹿北町椎持の下村集落にあります。
立派な鳥居があり、鳥居の右脇には猿田彦大神の碑また、更に右の方には一基の祠が祀られています。

 
鳥居をくぐり参道の階段を上っていくと非常に立派な楼門がございます。
此の時は、昼頃にうかがったのですが陽の光で非常に厳かな感じを受けました。

楼門内の狛犬と随人様です。
 
こんな書き方よくないかもしれませんが、狛犬さんキュートなお顔ですよね。

さてさて、楼門をくぐると社殿を正面に、境内の様子です。
非常に綺麗に手入れをされ、立派ですね。

拝殿様子、絵馬など

 

境内内の由緒書、および境内社

◎ 椎持菅原神社について

境内内由緒書より
◎ 祭神 – 菅原道真
◎ 由緒
正安元年(1299)秋九月、開山、堂床に勧請。
その後、永禄元年(1558)現在地に奉祀、御鎮座、文化十一年(1828)九月楼門一宇造営される。
天保十五年(1844)十月神殿、一宇再建される。
弘化二年(1845)幣殿、拝殿、祇園社、再建。
この年、総て造営され、老樹の緑に映ゆる立派な社殿が立ち並び村人の尊敬は厚く、絵馬、詠進歌などの奉納が多く、当時を偲ばせる多くのものが残されている。

三百年の時を超え村人の信仰、尊敬が受け継がれてきました。
当時の茅葺屋根は二十年毎に葺き替え賑やかな遷宮など行われ、昭和十五年、小学校から見事な遷宮祭が執行され氏子総出で衣装を凝らし、飾り馬で賑わい、乗馬のままで石段を一気に駆け上がる神官さんに、子ども心は驚き仰天した。
当時、九月の大祭には氏子全員が弁当持参で集まって、賑わい岳間尋常小学校の生徒四百余人先生に引率され境内に整列し、学問の神様に学業祈願と大祭を祝する話を聞いた。
これを最後に、昭和30年代、銅板葺きの記念碑があります。
拝殿の正面に、「天満宮」と書かれた額が掲げられている。是は、昭和2年9月25日、花岡真彰が真東を向いたお宮に願を建てたいが、真東に向いているのは当社のみとして奉納されたと町史に残されている。

※そのあと、菅原道真の経緯について書かれた項がありますが、その部分は省略いたします。


鳥居右奥にある猿田彦大神の碑について

また、こちらの先ほど紹介しました下段の鳥居の右後ろにある猿田彦大神の碑ですが、こちらの碑には、一般的によくみる「猿田彦」ではなく、「猿田毘古」と彫られているそうです。
私が伺った時には、しめ縄に御幣もあり避けて確認はしませんが、鹿北でももっとも古いもののようです。

 
表面に、『元禄戌七月吉田宇兵衛 猿田毘古大神 十二月吉日・・・・・』
裏面には、『慶応四戊辰再興』とあるそうです。
裏面に記された年にここに移されているようです。
叉、この神社の鳥居には「享保十四年(1729)丙閏九月」とあり、鹿北町内で最も古いとされており、県下では古い鳥居で貴重な石造物であると、町誌に記されているそうです。

(2021.05.08 更新)
本日、久しぶりに訪れましたら、上記で紹介しております猿田毘古大神の碑は、本殿右奥に移されていました。


※この記事は、以下の書籍を参考に書いています。
(鹿北町文化財保護委員の発行の「ふるさと探検」)
(鹿北町史)


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