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いろいろ不思議なお宮 ” 志志岐阿蘇神社 ” [ 山鹿市志々岐 ]
こんにちは。
随分と前回から間が空いてしまいましたね。
次はどちらを紹介しようかと考えていましたら、紹介する場所のストーリーを含めて考えるとさらに深堀しないといけないなっと、考える部分も出てきて迷ってしまっていました。
という事で、とりあえず最近この神社がどのような流れで祀られてるのかまだまだ解が出ていないけど、とりあえず出そう!と思う場所をご紹介しますね。
この場所に来ると、よく見れば見るほど、不思議だなと思うのです。
さあ行きましょう!
志志岐阿蘇神社の場所はこちらです
こちらの神社の名称も、色々と書籍により表記が違っています。
昭和28年発刊の『鹿本郡神社誌』には、『志士岐阿蘇神社』とあり、平成24年発刊の『山鹿・植木神社誌』には、『志々岐阿蘇神社』とあります。
又、実際に神社に行きまして、鳥居の扁額には『志志岐神社』とあります。
さて、正式な名称はどう書くのでしょうね。
こちらの地区の名称は『志々岐』です。
さて、こちらの由緒等についてご紹介します。
◎ 祭 神 ◎
健磐龍神 / 比咩明神 / 国龍明神 / 比咩御子明神 / 彦御子明神 / 若比咩明神
新彦明神 / 新比咩明神 / 若彦明神 / 彌比咩明神 / 国造明神 / 金凝明神 / 景行天皇
◎ 由 緒 ◎
天文十二年
◎ 境 内 神 社 ◎
・八坂神社 – 祭神 [ 素戔嗚尊 ] 祭日 [ 3/14 , 9/14 ]
・諏訪神社 – 祭神 [ 建御名方命 / 八坂刀売命 ] 祭日 [ 3/16 ]
◎ 飛地境内神社 ◎
・天神社 – 祭神 [ 少彦名命 ] 神体神木 [ 祭 日 ] 8/25
・熊野坐神社 – 祭神 [ 伊弉諾尊 / 伊弉冉尊 ]
神社の正面です。
参道の階段の下には、右側に大きな灯籠があります。
右のみにあるのですが、左に本来あるものはこの場所から少し下った道の左わきにあります。
参道の階段を上がると鳥居があるのですが、石垣がお城の様な立派な作りであり、その角にはほかにはなかなか見ない、竜の様な装飾があしらわれています。
境内内には、山鹿市の大宮神社に次ぐ数の猿田彦大神の石碑が二十二基祀られています。
多いですね。
諏訪神社の拝殿内に、由緒書がありました。
こちらの諏訪宮の拝殿前には古い狛犬さんがおられます。
背中に彫り物がありますが、(正徳4年/1714年)とあり、かなり古いものですね。
さて、ここからが名称と合わせて不思議な部分なのですが、こちらは主となっているのが志志岐阿蘇神社であり、境内宮として『八坂宮』と『諏訪宮』があります。
しかし、八坂宮の奥まったところに神社誌等には記載のない『大国主大神』が祀られています。
この石碑の右側には横にされた『一宮』と書かれた扁額があります。
こちらの大国主大神の事については、現時点においても由緒がわかりません。
こちらの志志岐神社が勧請されたとされるのが、『天文十二年/1543年』とあります。
今から(今年は2019年です)476年前にこちらに勧請されたという事で、その前にはこちらの大国主大神がもともと祀られていたのでしょうか・・。
どんな流れなのでしょうね。
不思議な事、分からない事ばかりです。
何かご存知の方は、是非ご教示いただければ幸いです。
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