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鹿央町の熊本県立装飾古墳館がある地域は『岩原』といいます。

今は、古墳が非常に盛り上がっておりますので、岩原古墳などにもいかれる方も多いでしょうが、その近くにあります『岩原八幡宮』を中心に今日はお話しましょうね。

七夕神社と、岩原八幡宮と御矛大明神

岩原八幡宮の場所はこちらです。

此方の由緒については

◎ 祭 神 – 譽田天皇 / 足仲津比古天皇 / 息長足姫命
合 殿 – 表筒男神 / 中筒男神 / 底筒男神 / 多紀理姫命 / 市寸島姫命 / 多岐津姫命 / 武内宿彌 / 御矛大明神
◎ 境内神社 – 菅原神社
◎ 由 緒
岩原八幡宮(現七夕神社)の下の宮として創建。年代不詳。
安元二年(1176年)小松内府重盛が岩原八幡宮(現七夕神社)を再興した際に、神輿御幸奉の祭りあり。その後、元弘四年菊池武重当社の式微を歎じ、更に祭祀の料として、神田若干を社納す。
これ神事暫漸く旧儀に復するを得たりしが、天正年間、社頭兵火に罹り、以上の神領悉く没収せらる。
明和九年更に、社殿を再建し祭祀の式無怠奉仕以て今日に至る。

と、あります(神社誌より引用)

この由緒の通り、こちらの岩原八幡宮はこの地より西にある『七夕神社』の下宮として建てられた神社だったのですね。
その、七夕神社はこちらです。


場所はこちら。


◎七夕神社の由緒について

◎ 祭 神 – 譽田天皇 / 足仲津比古天皇 / 息長足姫命
◎ 由 緒
天慶三年(940年)国司尾藤小郷隆房、宇佐、香椎の両宮を勧請。
安元二年(1176年)小松内大臣東将軍平重盛が再興。神田若干を寄進。再興に当たり、東の広野の下宮(現岩原神社)への神輿御幸奉の祭りあり、この日が七月七日であった。
この後、本来岩原八幡宮であった当社が神社再興の日にちなみ『七夕神社』と呼ばれるようになった。

現在は、七夕神社の方がひっそりとした佇まいでありますが、このような歴史の流れがあったのですね。

そして、現岩原八幡宮の横に飛地境内神社としてあります『八坂神社』にも、このような伝承があります。

御矛大明神の伝承

景行帝の御時より、聖武帝の御代まで数百歳の間、当地の池の上に霊光を現すこと絶えず、この時の領主大神某彼の池のあたりに礼拝す。時に、八眼の赤亀池上に出現して、口に矛を含み、頭に鏡をいただき、首に五百の玉をかけたり、即ち、三神宝を大神氏に與う。故に社を建て、三矛大明神と號す、後八幡宮に合祀せり。

こちらの八坂神社を見たときに、堀の中に社があり物凄い不思議な感じを受けましたが、このような由緒があるのですね。

このは八坂神社の御矛大明神、七夕神社、岩原八幡宮のつながり。
この岩原の地に、古墳が多いこと等、深い歴史に興味を覚えますね。

さて、三カ所のそれぞれの場所を写真でご紹介します。

七夕神社

岩原八幡宮

八坂神社


此方の飛地境内神社は、『春日神社』『八坂神社』『城ヶ鼻稲荷神社』の三カ所があります。
そのうち、『春日神社』と『城ヶ鼻稲荷神社』もご紹介しますね。

<2020.01.20追記>
youtubeに七夕神社を紹介された動画がありましたので、こちらにご紹介。

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