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– 観念寺 – 旧山鹿郡三十三観音霊場 十七番札所
今日は、こちらをご紹介です。
旧山鹿郡三十三観音霊場 十七番札所
≪ 観 念 寺 ≫
地図はこちらです。
山鹿市役所前の通りを北に進み、熊入町の四つ角を右に約500メートル進み、豊田商店前で左折、すぐに二差路を左に入ると、右側に防火水槽上に階段がある。
64段の階段横に寛政の明があるお地蔵さんが立っている。
並んで「隈入(龍爵)城跡」の標木がある。
≪南北朝時代の隈入城の跡。近くには熊入温泉がある≫
本尊は、聖観音座像。
≪境内に石仏や石碑≫
『鹿郡旧語伝記』には、「古寺の跡」とある。
境内には多くの菩薩石像・修行大師の碑などがある。広い観音堂は地域の信仰の拠り所になっていることがわかる。
南北朝頃の南朝の忠臣八幡弥二郎の居城跡ともいわれ、元弘3年(1333)に弥二郎が戦死後に寺が建ったと思われる。
一帯は、古墳の跡でもある。近くには、熊入温泉がある。
(山鹿双書四・旧山鹿郡三十三か所札所巡り・児玉徳夫講演録より先生講演録より引用)
≪ 隈入(龍爵)城跡 ≫
境内の裏手の一番高いところに、4メートル程の自然石記念碑が立っていて、それに城主宗安が、菊池武時の臣として、
博多の鎮西探題に使し、少弐方に謀殺されるまでの概略が刻んであります。
城跡の北側は、断崖絶壁で昼尚暗い密林に覆われ、正に天然の要害をなしています。
西から南にかけても2メートルから3メートルの段差のついた雑木林か竹林になっているので、安々と近づけません。
肥後国誌には、「当城は、隈部親永の老臣多久大和守在住し・・・」とあり、
古記集覧巻七には、「天正年間兵火に罹り衰頽し、享保十四年(1729)多久正勝の代に絶ゆ」と出ています。
(上記、≪ 隈入(龍爵)城跡 ≫ の引用は 山鹿市老連町おこし運動推進協議会の発行した「ふるさと山鹿」より、引用しています)
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