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こんばんは。
もう随分最近は、暑くなってきましたね~。
最近は、休みの日などちょっと立ち寄った場所の写真を撮り、グーグルマップにアップしたり、地点登録がない時には、その場で登録したりするのが地味に楽しい日々を過ごしています。
さて、三十三観音や宮地嶽神社の紹介を今日までしてきました。

今日は、民話を1つご紹介します。

◎ 極 楽 橋 ◎

山鹿市寺島の常法寺の参道から、三号線を超えて左手の小径を行くと、石村用水にかかる小さな石橋がありました。
この橋を人々は、「極楽橋」と呼んでいました。
もとは、この橋を「地獄橋」と云ったそうです。

昔といっても、明治・対象・昭和の初めごろまでは、この橋を渡って小鳥町はもちろん、城部落や平山へ行き来する大切なところでした。

この橋の名の起こりについて、肥後国誌(明治21年発刊)には、

『昔、城村に一人の娘があって早死にしました。
その後、父は田んぼの見廻りに行く度に、死んだ娘の亡霊に逢いました。
その度に娘が言うには、
「私は、まだお浄土に行く事が出来ずにおります。どうぞお寺に参ってお経をあげてもらってください。」
と、頼みました。
父は大変驚いて、すぐ娘を連れて地嶽橋を渡り、お寺にお参りに行きました。
そのお寺が、常法寺です。
お寺にお参りした父と娘は、大変安心し、心も晴れて寺を出て、「行きは地嶽、帰りは極楽」と云って帰ったという事です』

これから村人は、地嶽橋を、極楽橋というようになったといいます。

※この石橋は、昭和49年の井出改修と圃場整備の時、コンクリート橋に架け替えられました。
昔の石橋に比べると、本当に極楽橋になりました。(林則利氏のお話より)

[上記、山鹿市老連町おこし運動推進協議会の発行した「ふるさと山鹿」より、引用しています]

場所は、こちらです。

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